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佐賀地方裁判所 昭和63年(行ウ)2号 判決 1993年2月19日

第一事件原告

大平洋子

(ほか三四名)

第一ないし第三事件原告ら訴訟代理人弁護士

大多俊之

河西龍太郎

中村健一

第一ないし第三事件被告

小城町

右代表者町長

村山和彦

右指定代理人

副島匡博

溝口茂人

第一ないし第三事件被告

小城町教育委員会

右代表者教育委員長

武富英男

右指定代理人

橋本平次郎

真子公敏

被告ら指定代理人

富田善範

松崎義幸

西村裕行

新垣栄八郎

佐藤實

井芹知寛

主文

一  第一ないし第三事件原告らの各請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は、第一ないし第三事件につき、いずれも各原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

(第一事件)

一  請求の趣旨

1 被告小城町と各原告との間において、各原告が、別紙第一事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供を同子供が満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから満一二歳に達した日の属する学年の終わりまで、小城町立桜岡小学校に就学させる権利を有することを確認する。

2 被告小城町教育委員会が昭和六三年二月二五日付けで各原告に対し、各原告のした別紙第一事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供についての区域外就学申請を不承諾と告知した処分を、いずれも取り消す。

3 訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告小城町の本案前の答弁

1 原告らの被告小城町に対する各訴えをいずれも却下する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

三  請求の趣旨に対する被告両名の答弁

主文同旨。

(第二事件)

一  請求の趣旨

1 被告小城町と各原告との間において、各原告が、別紙第二事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供を同子供が満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから満一二歳に達した日の属する学年の終わりまで、小城町立桜岡小学校に就学させる権利を有することを確認する。

2 被告小城町教育委員会が平成元年三月一四日付けで各原告に対し、各原告のした別紙第二事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供についての区域外就学申請を不承諾と告知した処分を、いずれも取り消す。

3 訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告小城町の本案前の答弁

第一事件に同じ。

三  請求の趣旨に対する被告両名の答弁

主文同旨。

(第三事件)

一  請求の趣旨

1 被告小城町と各原告との間において、各原告が、別紙第三事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供を同子供が満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから満一二歳に達した日の属する学年の終わりまで、小城町立桜岡小学校に就学させる権利を有することを確認する。

2 被告小城町教育委員会が原告大島慶幸、同藤木義介、同八頭司一正及び同山本章に対しては平成二年五月二五日付けで、原告島田政治に対しては同年六月二七日付けで、原告小村美由紀に対しては同年七月一〇日付けで、各原告のした別紙第三事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供についての区域外就学申請を不承諾と告知した処分を、いずれも取り消す。

3 訴訟費用は被告らの負担とする。

二  被告小城町の本案前の答弁

第一事件に同じ。

三  請求の趣旨に対する被告両名の答弁

主文同旨。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 第一ないし第三事件原告ら(以下、単に「原告ら」という。)は、いずれも佐賀県小城郡三日月町大字久米字本告及び同字甘木(以下、本告地区と併せて「両地区」という。)に住所を有する者で、憲法二六条、教育基本法三条、四条、学校教育法二二条一項により、別紙第一ないし第三事件各原告目録子供欄記載の子供を、同子供が満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから満一二歳に達した日の属する学年の終わりまで、小学校に就学させる権利を有し、同子供に対してその義務を負っている保護者である。

(二) 第一ないし第三事件被告小城町(以下、単に「被告小城町」という。)は、地方自治法二条三項五号に基づき、小城町立桜岡小学校(以下、単に「桜岡小学校」という。)を設置・管理しているものである。

(三) 第一ないし第三事件被告小城町教育委員会(以下、単に「被告小城町教委」という。)は、地方教育行政の組織及び運営に関する法律(以下、「地方教育行政法」という。)二三条に基づき、桜岡小学校の学齢児童の就学及び児童の入学に関する事務を管理し、執行する権限を有するものである。

2  子供の学習権及び親の教育権

(一) 憲法二六条一項は国民の教育を受ける権利を保障するが、子供の教育を受ける権利は、人間的な成長・発達のために必要な学習をする学習権と把握すべきである。

(二) また、憲法二六条二項は、右の子供の学習権に対応して、親に子供を教育する責務を課すが、これは親に子供を教育する権利があることを示すものでもある。親の右教育権は、子供に対する家庭教育のほか、親が子供の人間的成長や学習・発達を保障するに相応しいと判断する学校に就学させ、その教育を決定する学校・教育選択権を包含する。学校教育法二二条、三九条は、親がその子供を小・中学校等の義務教育諸学校に就学させる義務があることを規定するが、憲法二六条、教育基本法三条、四条、学校教育法二九条、四条、地方自治法一〇条二項等の趣旨からすると、右就学義務は子供の就学を親の権利とする趣旨を前提としているというべきである。

3  桜岡小学校に就学させる権利

(一) 両地区を含む現在の三日月町大字久米は、かつては久米ケ里として小城町に属しており、現在に至るも、両地区は、三日月町の中心から離れた北西端にあり、小城町に隣接しており、小城町の政治・経済・文化の中心街にも近く、小城町の街と一体となって街を形成しているばかりでなく、日常生活上も両地区の住民は、小城町の中心的商店街を利用し、小城町の公園や公会堂等の公共施設を利用する等している。

(二) 右のような歴史的・地理的・文化的諸条件のもとに、両地区の子供は一〇〇年以上に亘り、桜岡小学校に就学してきた。すなわち、

(1) 桜岡小学校は明治六年に創立されたものであるが、当時、両地区は前記のとおり久米ケ里として小城町に属し、学区も小城学区に属していたため、両地区の子供は当然に桜岡小学校に就学していた。

(2) 明治二二年の町村制施行によって、三日月町の前身である三日月村が誕生し、久米ケ里は小城町から分離されて三日月村に属することとなったが、両地区の子供は、三日月村から小城町に教育委託されて、引き続き桜岡小学校に就学していた。

(3) 大正九年には右の教育委託が解除されたが、それにもかかわらず、両地区の子供の数名はなお桜岡小学校に就学し続けていた。

(4) 学校教育法施行令九条で区域外就学が規定された後の昭和二九年、被告両名、三日月町及び三日月町教育委員会(以下、「三日月町教委」という。)は、両地区の子供に限って、桜岡小学校への就学を区域外就学という形式を採ることにより積極的に公に認めることとなったが、その実態は、子供が両地区に居住していれば全て桜岡小学校への就学を認めるということにほかならず、同施行令に定められた三日月町教委との協議や、同教委に対する届出等の手続きは全くなされていなかった。ここにおいて、両地区の子供は、桜岡小学校に就学できるという慣習が認められ、両地区と被告両名、三日月町及び三日月町教委との間でその旨の合意が成立し、以後、両地区の子供は、この慣習及び合意どおりに桜岡小学校に就学し続けてきた。

(5) 明治二六年から昭和六〇年までの間に、両地区の子供のうち、桜岡小学校を卒業した者と三日月町立三日月小学校(以下、単に「三日月小学校」という。)を卒業した者の人数は、別表1のとおりであり、両地区の子供は、その大半が三日月小学校ではなく桜岡小学校を選択し、同小学校に就学してきた。

(三) このように、法制度の変遷にかかわらず、約一〇〇年間に亘って、両地区の子供は桜岡小学校に就学し続けてきており、このことは遅くとも日本国憲法及び教育基本法が制定された後は、両地区の子供の教育を受ける権利を保障するものとして、地域社会も行政当局も認め合ってきたものであり、それは慣習法として定着したというべきである。すなわち、両地区は、慣習法により、三日月小学校または桜岡小学校を選択できる「調整区」として定められていたものであり、原告らは、右慣習法により、区域外就学の手続きによらずにその子供を桜岡小学校に就学させる権利を取得したものである。

(四) 原告らの子供を桜岡小学校に就学させる権利は、憲法二六条、二二条一項、二五条、九二条の趣旨と合致した内容を有するものであって、両地区に居住する親に保障された前記教育権を具現する具体的な権利である。

4  確認の利益

被告小城町は、原告らの子供を桜岡小学校に就学させる権利を否認し、原告らの右権利の行使を阻害しており、判決によって右権利の存在を確認することは、原告らがその子供を桜岡小学校に就学させる権利を現実に保障し、これにかかわる紛争を抜本的に解決する上で有効適切である。

5  区域外就学申請に対する不承諾処分

(一) 第一事件各原告が、被告小城町教委に対して、昭和六三年二月一〇日付けで別紙第一事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供について桜岡小学校への区域外就学申請をしたところ、被告小城町教委は、各原告に対して、同年二月二五日付けで右申請を不承諾と告知する処分(以下、「昭和六三年度不承諾処分」ともいう。)をした。

(二) 第二事件各原告が、被告小城町教委に対して、平成元年三月一〇日付けで別紙第二事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供について桜岡小学校への区域外就学申請をしたところ、被告小城町教委は、各原告に対して、同年三月一四日付けで右申請を不承諾と告知する処分(以下、「平成元年度不承諾処分」ともいう。)をした。

(三) 第三事件原告大島慶幸、同藤木義介、同八頭司一正及び同山本章は平成二年五月二一日付けで、同島田政治は同年六月二五日付けで、同小村美由紀は同年七月六日付けで、それぞれ被告小城町教委に対して、別紙第三事件原告目録の各原告欄に対応する子供欄記載の子供について桜岡小学校への区域外就学申請をしたところ、被告小城町教委は、第三事件原告大島慶幸、同藤木義介、同八頭司一正及び同山本章に対しては同年五月二五日付けで、同島田政治に対しては同年六月二七日付けで、同小村美由紀に対しては同年七月一〇日付けで、それぞれ右申請を不承諾と告知する処分(以下、「平成二年度不承諾処分」ともいう。)をした。

6  不承諾処分の違法性

被告小城町教委の前記各不承諾処分(以下、「本件各不承諾処分」という。)については、次のとおり裁量権の踰越・濫用があるから、違法である。すなわち、

(一) 3(一)及び(二)記載の事実からすれば、被告小城町教委が区域外就学を承諾するか否かの裁量権の行使につき、両地区の子供に関してはこれを承諾し続けるとの内容(裁量基準)の慣習法の成立をも認めることができるところ、被告小城町教委は本件各不承諾処分にあたって右慣習法としての裁量基準を無視している。

(二) 本件各不承諾処分に至る紛争の発端は、被告小城町が三日月町に対して桜岡小学校の校舎改築費について応分の負担を求めたところ、これを拒否されたため、両地区の子供を受け入れないことでその面子を保とうとしたものであり、本件各不承諾処分はこのような不正な動機に基づいている。

(三) 本件各不承諾処分の理由は後記本件覚書の遵守ということ以外にない。しかしながら、本件覚書は、<1> 合意の当事者となっていない原告らを拘束できるものではないこと、<2> 昭和五九年度の両地区の新一年生の桜岡小学校への入学について、三日月町教委が三日月小学校に通学しない限り桜岡小学校に通学していても欠席扱いを続け、被告小城野教委も桜岡小学校に通学した子供を同校に在籍する児童として認めないという異常事態になったため、これを回避するためにいわば緊急避難的に締結されたものであること、<3> 本件覚書に表示されている両地区住民代表者のうち九名は調印に立ち会っていないという手続的瑕疵があること、<4> 紛争の発端である桜岡小学校の校舎改築費の負担問題は、本来、被告小城町及び三日月町がその行政的責任において解決すべき事柄であり、これを通学区の問題に転嫁するのは、本末転倒も甚だしいこと等の点からみて、裁量権行使の判断にあたって考慮されるべき事項ではない。

(四) 両地区の子供が約一〇〇年に亘って桜岡小学校への就学を認められてきたという、本件の特殊事情が十分に考慮されていない。

7  結論

よって、原告らは、被告小城町に対しては原告らが別紙第一ないし第三事件原告目録子供欄記載の子供を桜岡小学校に就学させる権利を有することの確認を、被告小城町教委に対しては本件各不承諾処分の取消しを、それぞれ求める。

二  被告小城町の本案前の主張

原告らの被告小城町に対する各訴えが、行政事件訴訟法四条後段のいわゆる実質的当事者訴訟であるとすれば、右各訴えは、以下の理由により、いずれも不適法として却下を免れない。すなわち、

1  本件のような確認の訴えが実質的当事者訴訟として認められるためには、<1> 対等な当事者間における公法上の法律関係に関する訴訟であること、<2> これにより当事者間の法律上の争訟を直截に解決することでき、他により直接的な解決方法がないこと、<3> 訴訟の対象となる権利、法律関係が具体的なものであること等の要件が必要であり、これらの要件を欠く場合には、実質的当事者訴訟としての確認の訴えは、訴えの利益を欠き、不適法であると解すべきである。

2  しかるに、

(一) 本件のような学齢児童の就学に関する法律関係は公法上の法律関係であり、地方教育行政法、学校教育法施行令等に基づく公権力の行使を本質とするものであって、対等な当事者間の法律関係ではない。

(二) 原告らは、本件確認の訴えとともに、被告小城町教委に対して本件各不承諾処分の取消訴訟を提起しており、原告らが右訴訟に勝訴するならば、被告小城町教委はこれに拘束されて、原告らの各区域外就学申請を承諾する処分をしなければならなくなるから、原告らはその目的を達成し、本件確認の訴えは不要となる。

(三) 住所地でない市町村の設置する小学校に就学させる権利は、区域外就学の承諾及びこれに伴う一連の具体的な処分がなされて初めて具体化するものである。

したがって、原告らの被告小城町に対する各訴えは、実質的当事者訴訟としての要件を欠き、不適法である。

三  請求原因に対する被告らの認否

1  請求原因1(当事者)は認める。

2  請求原因2(子供の学習権及び親の教育権)について

(一) 同(一)のうち、憲法二六条一項の規定は認め、その余は争う。

(二) 同(二)のうち、憲法二六条二項、学校教育法二二条、三九条の各規定は認め、その余は争う。

3  請求原因3(桜岡小学校に就学させる権利)について

(一) 同(一)のうち、両地区が久米ケ里に属していたこと、両地区が三日月町の北西端にあり小城町に隣接し、小城町の政治・経済・文化の中心街にも近いことは認めるが、両地区がかつて小城町に属していたことは否認する。その余は争う。

(二) 同(二)について

冒頭部分は争う。

(1) 同(1)のうち、久米ケ里が小城町に属していたことは否認し、その余は認める。

(2) 同(2)のうち、久米ケ里が小城町から分離されて三日月村に属することになったことは否認し、その余は認める。

(3) 同(3)のうち、大正九年に教育委託が解除されたことは認めるが、その余は争う。

(4) 同(4)のうち、学校教育法施行令九条に区域外就学の手続きが規定されていることは認め、その余は争う。

(5) 同(5)のうち、別表1については、別表2の人数記入部分の人数は否認し(右部分の人数は記入のとおりである。)、不記入部分の人数は認める。その余の事実は否認する。

(三) 同(三)は争う。

(四) 同(四)は争う。

4  請求原因4(確認の利益)のうち、被告小城町が原告ら主張の子供を桜岡小学校に就学させる権利を否認していることは認め、その余は争う。

5  請求原因5(本件各不承諾処分)は、いずれも認める。

6  請求原因6(不承諾処分の違法性)は、いずれも争う。

四  被告らの主張

1  桜岡小学校に就学させる権利について

(一) 学齢児童の就学をめぐる法律関係は公法上の法律関係であり、学齢児童の保護者に対し教育の機会均等、義務教育等の要請を完全に実施するために特定の小学校との関係で具体的な就学義務を負担させる等の公権力の行使をその本質とするものであるところ、このような法律関係については、そもそも具体的な法令上の根拠がなければ行政権を行使することができないものであるから、法律による行政を基本原則とする現行法制度の下では、慣習法が成立し得る余地はなく、また、慣習や合意に基づいて特定の小学校に就学させる権利が成立し得る余地もないと言わざるを得ない。そして、原告らがその子供を桜岡小学校に就学させる権利は、区域外就学の承諾及びこれに伴う一連の具体的な処分がなされて初めて具体化するものであるから、これを前提としない以上、原告ら主張の、桜岡小学校に就学させる権利なるものは、未だ具体的に成立していない。

(二) また、慣習法が成立する要件については法例二条の規定があるところ、学校教育法施行令九条が区域外就学の手続きを、学校教育法三一条、地方自治法二五二条の一四ないし一六が教育事務委託を、それぞれ明確に規定しているのであるから、原告ら主張の慣習法が成立する余地はない。

2  本件各不承諾処分の適法性について

(一) 区域外就学の申請を受けた市町村の教育委員会は、承諾をするには、予め就学予定者の住所地の市町村の教育委員会と協議し、その合意を得た上(学校教育法施行令九条二項)、就学予定者の身体的理由、家庭の事情、地理的理由、交通事情、小学校の設備・規模等諸般の事情を考慮し、教育行政上の裁量権に基づき、その就学予定者について区域外就学を認めることが必要かつ適切であると認められる場合に限って承諾すべきものであり、区域外就学を承諾するか否かの判断は、児童への教育的配慮、保護者の立場及び公益の立場等を総合的に考慮してなされるものであって、その性質上市町村教育委員会の極めて広範な自由裁量に委ねられているものである。

したがって、本件各不承諾処分は、行政事件訴訟法三〇条により、その裁量権の踰越・濫用にわたらない限り、違法とはいえない。

(二) 本件各不承諾処分に至る経緯は、概略以下のとおりである。すなわち、

(1) 桜岡小学校は、木造校舎の老朽化が著しく、昭和五八年四月ころ、被告小城町において昭和五九年度から校舎の全面改築を行うこととなったが、桜岡小学校に受け入れていた両地区からの区域外就学者が昭和五八年度の児童総数中三五・一パーセントに達していたことから、その教育経費を被告小城町で負担することに小城町民から強い批判があり、同町議会でも問題となり、同年八月、被告小城町は三日月町に対して、従来どおり両地区の子供を受け入れる場合には建築規模の拡大を要するとして、規模拡大に伴う経費についての応分の負担を要請し、被告小城町教委も三日月町教委に対して同様の要請をした。

(2) これに対し、三日月町教委は、右の経費負担には応じられない旨回答するとともに、両地区居住の昭和五九年度以降の入学予定者は三日月小学校に入学させる旨を決定したが、両地区住民はこれに反対したため、昭和五九年度以降の就学予定者の就学先を巡って混乱が生じ、両地区住民四六七名が、被告両名、三日月町及び三日月町教委を被告として、住民の子供を桜岡小学校に就学させる権利を有することの確認等を求める訴訟(本庁昭和六〇年(行ウ)第一号事件)を提起した。

(3) 昭和六〇年五月二二日、事態収拾のため、佐賀県教育委員会(以下、「県教委」という。)の裁定により、両地区の住民代表者と三日月町教委との間で、昭和六〇年四月以降に小学校に入学する児童は、原則として三日月小学校に入学するが、例外的に、昭和六一年四月までに小学校に入学する児童(ただし、前記訴訟を提起している保護者の児童を除く。)は、希望により桜岡小学校に就学することができること等を内容とする覚書(以下、「本件覚書」という。)が調印された。

(4) 被告小城町教委は、本件覚書は遵守されるべきであること、三日月町教委が両地区の就学予定者に対して入学告知をしていたこと等を理由として、本件各不承諾処分をした。

(三) 本件各不承諾処分は、前記覚書は遵守されるべきであること、三日月町教委が両地区の就学予定者に対して入学告知をしていたこと等を理由とするものであるところ、前記のとおり、本件覚書は、区域外就学を巡る昭和五八年以来の紛争を抜本的に解決するために調印された重要な合意文書であるから、これが遵守されるべきは当然であり、本件覚書を尊重してなされた本件各不承諾処分は、いずれも相当な裁量権の行使というべきである。

五  被告らの主張に対する認否及び原告らの反論

1  被告らの主張1について

(一) 同(一)は争う。

法律による行政の原理は、行政機関が個人の自由と財産を侵害する場合に、慣習法の存在を理由とすることはできないという趣旨に解されねばならない。

(二) 同(二)も争う。

慣習法成立の根拠は事実そのものにある(いわゆる事実説)のであるから、慣習法によって成文法を改廃することもありうるのであって、法例二条は原告ら主張の慣習法の成立の障害とはならない。

仮に、慣習法の成立を法例二条が許容する範囲でしか認めないとする被告らの立場(いわゆる許容説)に立っても、ある市町村の子供が歴史的・地理的・社会的な合理的諸事情に基づき隣の市町村の設置する小学校に就学する慣習が成立しているとき、この慣習が「公ノ秩序又ハ善良ノ風俗に反セサル慣習」であることは明らかであるし、就学形態を学校教育法三一条、地方自治法二五条の一四ないし一六所定の教育事務委託、及び、学校教育法施行令九条所定の区域外就学に限定するとの法令は存在しないのであるから、原告ら主張の慣習法の成立を認める障害とはならない。

2  被告らの主張2について

(一) 同(一)は、一般論としては認める。

(二) 同(二)のうち、(1)ないし(3)は認める。(4)は争う。本件各不承諾処分の理由は本件覚書の遵守ということ以外にない。

(三) 同(三)は争う。

前述のとおり、昭和二九年以降、両地区の子供の桜岡小学校への就学が区域外就学の形式を採ったものではあったが、その実態は、子供が両地区に居住していて桜岡小学校への入学を希望し、寄附金を納付しさえすれば、例外なく桜岡小学校に就学できるということになっていたのであり、その就学の性質は学校教育法施行令九条所定の本来の区域外就学とは大きく異なっていたのであるから、被告ら主張のように、本件各不承諾処分を本来の学校教育法施行令九条のそれであるとして、そこから極めて広範な自由裁量を導き出すことは失当である。

第三  証拠

証拠関係は、本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

一  まず、原告らの被告小城町に対する各訴えの適法性について検討する。

1(一)  右各訴えは、原告らと被告小城町との間において、原告らがその子供を桜岡小学校に就学させる権利を有することの確認を求めるものであり、行政事件訴訟法四条後段所定のいわゆる実質的当事者訴訟と解されるところ、実質的当事者訴訟においても、訴えの利益が必要であることは当然であって、本件のような確認の訴えにおいては、その確認の対象が、当事者間における具体的な権利ないし法律関係でなければならない。この点につき、被告小城町は、住所地でない市町村の設置する小学校に就学させる権利は、学校教育法施行令九条所定の区域外就学の承諾及びこれに伴う一連の具体的な処分がなされて初めて具体化する旨主張する。

(二)  そこで、まず、現行法上の小学校における就学制度、就学手続きについて概観する。

小学校における教育は、義務教育とされる九年間の普通教育(教育基本法四条参照)の最初の六年間の普通初等教育を施すことを目的とし(学校教育法一七条、一九条)、将来の我が国の国家と社会とを支える心身ともに健康な国民を育成するためのもの(教育基本法一条参照)であるところ、全ての国民に対して教育を受ける機会均等の権利を保障するとともに、全ての国民に対してその保護する女子に普通教育を受けさせる義務を負わせた憲法二六条を具体化し、我が国全土において、小学校における基礎的な教育の機会均等と義務教育とが、その制度面からも運用面からも完全に実施されることを保障するために、市町村は、その区域内にある満六歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから満一二歳に達した日の属する学年の終わりまでの間の子女(学校教育法二三条、二二条参照)である学齢児童を就学させるに必要な小学校を設置する義務を負い(学校教育法二九条)、他方、学齢児童の親権者等の保護者は、学齢児童を小学校に就学させる義務を負う(学校教育法二二条一項)。

そして、小学校における教育に関する行政については、教育の重要性・中立性等の要請から、国あるいは市町村が自ら処理するのではなく、市町村に教育委員会を設置し(地方教育行政法二条)、右教育委員会において、小学校の設置・管理・廃止、学齢児童の就学、児童の入学等の国あるいは市町村が処理する教育に関する事務を管理し、執行することとされている(同法二三条、地方自治法一八〇条の八)。

また、小学校における具体的な就学手続きについては、市町村の教育委員会が、国からの機関委任事務として、学校教育法及びこれに基づく政令の定めるところにより、学齢簿の編製、入学期日の通知、就学すべき学校の指定、出席の督促その他就学義務に関して必要な事務、及び、就学義務の猶予または免除に関する事務を行うこととされ(地方自治法一八〇条の八第二項、同法別表第四の三(一))、これらの事務のうち、学齢簿の編製、入学期日の通知、就学すべき学校の指定の手続きについては、市町村の教育委員会が、毎年一〇月一日現在において、その市町村の区域内に住所を有する者で翌年四月一日(学校教育法施行規則四四条参照)に小学校に入学すべき学齢児童について、一〇月末日までに、学齢児童の氏名・現住所・生年月日・性別、保護者の氏名・現住所、保護者と学齢児童との関係等を記載した学齢簿を作成し(学校教育法施行令一条、二条、同法施行規則三〇条、三一条)、右学齢簿を基に、原則として全ての就学予定者について、その保護者に対し、翌年一月末日までに、入学期日を通知し、また、その市町村の設置する小学校が複数ある場合には右入学期日の通知とともに就学すべき小学校を指定する(同法施行令五条)こととされており、以上の手続きが行われることによって初めて、前記の保護者の学齢児童を特定の小学校に就学させる義務が具体化されることとなる。このように、就学予定者が就学できる公立小学校は、原則としてその住所地の市町村の設置する小学校であり、保護者が就学予定者である児童を住所地の市町村以外の他の市町村が設置する小学校に就学させることができるのは、学校教育法施行令九条所定の区域外就学の承諾を得た場合と住所地の市町村と就学希望地の市町村との間に学校教育法三一条所定の教育事務の委託がなされている場合である。ただし、教育事務の委託の場合、市町村間において右の委託がなされていること自体から保護者に対し学齢児童を特定の小学校に就学させる権利義務を生じさせるものではなく、右権利義務が具体化するには、前記の就学に関する手続きに従って教育事務の委託を受けた市町村の教育委員会による入学期日の通知等の処分が必要である。

(三)  このように、現行法上の制度として、保護者が学齢児童を住所地以外の市町村の設置する小学校に就学させ得るのは、右の区域外就学の承諾を得た場合と教育事務の委託がある場合のいずれかであることになるから、現行法上の制度を前提とする限りにおいては、被告小城町の前記主張も首肯できないではない。しかしながら、【要旨一】原告らの主張は、前記のとおり、そのような現行法で規定された制度を前提とすることなく、両地区の学齢児童が、約一〇〇年に亘って、法制度の変遷にかかわらず桜岡小学校に就学してきたという一定の事実の継続そのものに基づいて、直接、原告らがそれぞれその子供らを桜岡小学校に就学させる権利を慣習法上取得しているというものであって、右権利は学校教育法施行令九条所定の区域外就学の手続きとは無関係に既に発生している権利であるというのであるから、その主張の当否ないし理由の有無は、実体判断にかかわるものというべきであって、この点に関する被告小城町の本案前の主張は採用できない。

2  また、本件のような確認訴訟においては、原告の法律上の地位の不安定が存在し、それを除去するために確認判決を得ることが有効適切な手段であることが必要であるところ、被告小城町は原告らの前記就学させる権利を否認しているから、原告らの法律上の地位に不安定が存することになる。

ところで、被告小城町は、原告らが併せて被告小城町教委に対する本件各不承諾処分の取消請求訴訟を提起しており、これに勝訴すれば、被告小城町教委は原告らの区域外就学申請を承諾する処分をしなければならず、原告らはその目的を達するから、本件確認請求は確認の利益を欠く旨主張する。しかしながら、原告らが主張するのは、前記のとおり学校教育法施行令九条所定の区域外就学手続きと無関係に慣習法上取得した桜岡小学校にその子供らを就学させる権利であるから、本件各不承諾処分の取消請求訴訟でその目的を達することはできないというべきであり、この点に関する被告小城町の本案前の主張も採用できない。

3  さらに、被告小城町は、実質的当事者訴訟は対等な当事者間における公法上の法律関係に関する訴訟であることが必要であるとして、本件のような学齢児童に関する法律関係は、公権力の行使を本質とするものであるから、対等な当事者間の法律関係ではない旨主張する。

しかしながら、実質的当事者訴訟の要件としての「公法上の法律関係」(行政事件訴訟法四条後段)に公権力の行使を本質とする公法関係を含まないと解するのは相当でないばかりか、被告小城町そのものは、単に権利義務の帰属主体たる地方公共団体に過ぎず、小学校における就学をめぐる法律関係につき、原告らに対して優越的地位に立つわけではないから、原告らと被告小城町とが対当な当事者でないとは言えないのであって、この点に関する被告小城町の本案前の主張も採用し難い。

4  結局、原告らの被告小城町に対する本件確認請求訴訟は、行政事件訴訟法四条後段所定のいわゆる実質的当事者訴訟として適法であるというべきである。

二  そこで、原告らの被告小城町に対する各請求について検討する。

1  原告らは、両地区の子供が、法制度の変遷にかかわらず、約一〇〇年間に亘って桜岡小学校に就学し続けてきており、殊に、学校教育法施行令九条で区域外就学が規定された後の昭和二九年には、両地区と被告両名、三日月町及び三日月町教委との間で、両地区の子供は桜岡小学校に就学できる旨の合意が成立し、両地区が慣習法により、三日月小学校または桜岡小学校のいずれかを選択できる「調整区」として定められたとして、原告らはその子供を桜岡小学校に就学させる権利を慣習法上取得した旨主張する。

2  弁論の全趣旨によれば、桜岡小学校の前身である桜岡尋常小学校が設立された明治六年から町村制が施行された明治二二年までは、両地区は学制上小城学区に属し、両地区の学齢児童は同校に就学していたこと、町村制施行後大正九年までは、両地区の児童は三日月村の委託により桜岡尋常小学校に就学していたこと、学校教育法施行令が施行された昭和二八年一〇月三一日以降、両地区の児童の多くは、被告小城町教委から同施行令九条所定の区域外就学の承諾を得て(同条一項所定の児童の住所の存する市町村の教育委員会に対する届出は省略されていた。)、桜岡小学校に就学していたことが認められ、以上の事実によれば、両地区の児童が区域外就学等法令上認められた制度とは別個の就学形態によって桜岡小学校に就学する慣行が約一〇〇年に亘って継続したとみることはできない。

したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの前記主張は採用することができない。

3  よって、原告らの被告小城町に対する各請求は、いずれも理由がない。

三  次に、原告らの被告小城町教委に対する各請求について検討する。

請求原因5(本件各不承諾処分)、及び、被告らの主張2(二)(本件各不承諾処分に至る経緯)(1)ないし(3)は、いずれも当事者間に争いがない。

右争いのない各事実に加え、〔証拠略〕を総合すれば、以下の事実を認めることができる。すなわち、

1  桜岡小学校は木造校舎の老朽化が著しく、昭和五八年四月ころ、被告小城町において昭和五九年度から三階建鉄筋校舎に全面改築することが計画されたが、桜岡小学校に受け入れていた両地区からの児童数が、昭和五八年度の児童総数五七五人中二〇二人(三五・一パーセント)を占めるに至っており(なお、昭和四〇年代中ころまでは、両地区からの児童数は全児童の一ないし二割を占めていたに過ぎなかった。)、その教育経費を被告小城町で負担することに小城町民から強い批判があり、同町議会でも問題となっていたため、昭和五八年四月ころ、被告小城町は三日月町に対し、従来どおりに両地区の児童を受け入れる場合には建築規模の拡大を要するとして、規模拡大に伴う経費について応分の負担をされたい旨要請し、その後被告小城町教委も三日月町教委に対し、同様の要請を行った。

これに対し、三日月町教委は、同年九月七日、右の経費負担には応じられない旨回答するとともに、同月、両地区居住の昭和五九年度以降における小学校入学予定者は三日月小学校に入学させることを決定し、その旨を両地区区長に通知し、右入学予定者の保護者に対しても同旨の要請をした上、同年一一月一六日、被告小城町教委に対し、両地区居住の昭和五九年度以降の入学予定の小学一年の該当者は三日月小学校へ入学させると決定した旨を通知した、その後、三日月町議会も、翌五九年一月二五日、三日月町教委の右決定を支持し、教育正常化のため、昭和五九年度から両地区の新一年生は、三日月町内の小学校に入学させる旨の結論を出し、これを受けて、三日月町も被告小城町に対し、同月二六日付けで、桜岡小学校の改築経費の負担には応じられない旨を回答した。

この間、三日月町教委による両地区での説明会等が行われ、その中で、三日月町教委は、三日月町の児童は同町において義務教育を受けるのが法の建前であることなどを説明したが、両地区住民の同意は得られず、両地区の保護者らが、昭和五九年一月二八日、昭和五九年度就学予定者の区域外就学申請書を被告小城町教委に提出した。これに対し、被告小城町教委は、三日月町教委から前記の通知を受けているとして、同年二月一日付けで右区域外就学申請を不承諾とし、三日月町教委も、同年一月三一日付けで、両地区の昭和五九年度就学予定者の保護者らに対し、入学通知書を送付したが、右保護者らは一斉に右入学通知書を返還した。

その後、三日月町及び三日月町教委と両地区住民代表とが数次にわたって協議を重ね、同年三月二七日、県教委の調停により、三日月町教委と両地区の区長との間で、<1> 五九年度新一年生は小城町へ通学する。<2> 両地区の就学等のあり方について協議会を設置し、一年を目途に協議する、<3> 協議会で審議された結論は、双方で尊重し、その趣旨に沿うよう努力する旨の覚書が締結されたため、三日月町教委は、翌二八日、小城町教委に対し、両地区の昭和五九年度新入学児童について、同年度限り区域外就学の手続きによる桜岡小学校への受入れを依頼し、右区域外就学者については、後日教育事務委託に切り替える旨を通知した。これに基づき、両地区の昭和五九年度就学予定者の保護者らは、同月三一日、被告小城町教委に対して区域外就学申請書を提出し、被告小城町教委はこれを承諾した。なお、右区域外就学者は、三日月町と被告小城町との間で締結された教育委託規約が発効した同年七月三〇日から、右規約による就学に切り替えられた。

2  三日月町教委と両地区の間では、前記覚書に基づき、昭和五九年五月から同年一二月にかけて協議会を一二回にわたって開催したが、進展のないまま同年一二月二四日協議が打ち切られた。

翌六〇年一月七日、両地区の就学予定者の保護者らから被告小城町教委に対し、区域外就学申請書が提出されたため、被告小城町教委は、同月九日、三日月町教委に対して照会したところ、同教委から、昭和六〇年度については教育委託はせず、区域外就学も認めない旨の回答を得たため、同月一四日、右保護者らに対して区域外就学を承諾しない旨を通知した。一方、三日月町教委も、同月二五日付けで、両地区の昭和六〇年度就学予定者の保護者らに対して入学告知書を送付したが、右保護者らから同月二八日返還された。

三日月町教委と両地区から仲介の依頼を受けた県教委は斡旋を行ったが、これも不調に終わり、両地区の昭和六〇年度就学予定者の保護者らが、同年三月一九日、被告両名、三日月町及び三日月町教委を被申立人として、子供を桜岡小学校へ就学させる権利を有する旨等の地位保全の仮処分申請(当庁昭和六〇年(行ク)第一号地位保全仮処分事件)を行い、次いで、同月二九日には、両地区の住民らが、被告両名、三日月町及び三日月町教委を被告として、子供を桜岡小学校に就学させる権利を有すること等の確認を求める訴え(当庁昭和六〇年(行ウ)第一号就学権確認請求事件)を提起した。さらに、右保護者らが、昭和六〇年四月九日の桜岡小学校入学式に児童を出席させる事態となり、被告小城町教委は、翌一〇日、右保護者らに対して、三日月町の小学校に就学させるよう通知するとともに、三日月町教委に対して、これらの児童を引き取るよう要請したが、右児童は、学籍のある三日月小学校では欠席扱いとなったまま、桜岡小学校への登校を続けたため、学校現場に混乱が生じた。

3  このため、三日月町教委及び両地区代表が県教委に斡旋を依頼し、県教委の裁定により、同年五月二二日、三日月町教委と両地区住民代表との間で、<1> 三日月町教委並びに両地区及び両地区の児童の生徒の保護者は、信義を重んじ、この覚書に定める条項を誠実に履行しなければならない、<2> 昭和六〇年四月以降に小学校又は中学校に入学する児童は、第<3>項及び第<4>項の児童を除き、三日月小学校又は三日月中学校に入学する、<3> 昭和六一年四月までに小学校に入学する児童は、希望により、桜岡小学校に就学することができる。ただし、訴訟を提起している保護者の児童を除く、<4> 桜岡小学校を卒業した生徒は、希望により、小城中学校に就学することができる。ただし、訴訟を提起している保護者の生徒を除く、<5> 三日月町教委は、今後、両地区の発展のため、積極的に施策を講じるものとする、以上五項目からなる本件覚書が調印された。

三日月町は、本件覚書に基づき、両地区居住の児童で、希望により桜岡小学校に就学した一年生及び二年生につき、同年五月一日から昭和六一年三月末日まで、被告小城町に教育事務委託をし、昭和六一年度以前に桜岡小学校に入学した両地区の児童は教育事務委託によりその後も桜岡小学校に就学できることとなった。

4  昭和六三年二月一〇日、第一事件原告らは、被告小城町教委に対し、その子供らについて桜岡小学校への区域外就学申請を行ったが、被告小城町教委は、同月二二日、臨時教育委員会を開催し、本件覚書は遵守されるべきであるとし、既に三日月町教委が同年一月末日までに両地区の就学予定者に対し入学告知を行っているとして、三日月町教委との協議を経ることなく、右就学を承諾しない旨決定し、同月二五日付けで、第一事件原告らに対し昭和六三年度不承諾処分をした。

5  平成元年三月一〇日、第二事件原告らは、同様に被告小城町教委に対して区域外就学申請を行ったが、被告小城町教委は第二事件原告らに対し、同月一四日付けで昭和六三年度同様に平成元年度不承諾処分をした。

6  平成二年五月二一日に第三事件原告大島慶幸、同藤木義介、同八頭司一正及び同山本章から、同年六月二五日に同島田政治から、同年七月六日に同小村美由紀から、それぞれ区域外就学申請がなされたが、被告小城町は、第三事件原告大島慶幸、同藤木義介、同八頭司一正及び同山本章に対しては同年五月二五日付けで、同島田政治に対しては同年六月二七日付けで、同小村美由紀に対しては同年七月一〇日付けで、それぞれ昭和六三年度同様に平成二年度不承諾処分をした。

以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

四  そこで、被告小城町教委による本件各不承諾処分について、裁量権の踰越・濫用があったか否かにつき検討する。

1  学校教育法施行令九条所定の区域外就学は、教育の機会均等を実現するとともに、居住地域での学校生活による子供の人間的成長を期す趣旨で設けられた通学区制度、及び、これに基づく学校指定処分(同法施行令五条)に対し、就学予定者の身体的理由、家庭の事情、地理的理由、交通事情、いじめ等を理由とする例外的措置であって、その具体的手続きは、<1> 保護者は住所地の市町村以外の他の希望する市町村の教育委員会に対して区域外就学申請をする、<2> 右教育委員会は、前記の理由に加え、小学校の設置・規模等諸般の事情を考慮し、教育行政上の裁量権に基づき、当該就学予定者について区域外就学を認めることが必要かつ適切であると認められ、承諾を与えようとする場合、予め当該就学予定者の住所地の市町村の教育委員会と協議し、その同意を得て、右申請に対して承諾を与える、<3> 保護者は他の市町村の教育委員会から右承諾書を得た上で、それを添付して住所地の市町村の教育委員会に届け出る、というものであると解される。

2  ところで、昭和二八年一〇月三一日に学校教育法施行令が施行され、翌二九年度以降、桜岡小学校の改築費負担問題をめぐって紛争が発生する昭和五八年度までの間、両地区の学齢児童が桜岡小学校に就学するに当たって、前記区域外就学の手続きによっていたことは当事者間に争いがない。〔証拠略〕を総合すれば、右期間における両地区の児童の区域外就学にあっては、小城町教委が区域外就学を承諾する場合、区域外就学申請をした保護者に対して区域外就学承諾書及び入学告知書を発行する手続きをとるとともに、右保護者の児童に対する就学義務に関して必要な事務を行い、他方、三日月町教委は、右承諾に先立つ協議において当該児童の区域外就学に同意した場合、これによって当該児童の区域外就学を了知し、その保護者から区域外就学承諾書を添付した届け出がなくとも、爾後、当該児童に対する就学義務に関する事務を行わないこととして、保護者に承諾書を添付した届け出をさせること(前記<3>の手続き)を省略する実務運用を行っていたこと、被告小城町教委において両地区の児童の区域外就学を承諾するに当たっては、両地区居住の児童であること以外の個別具体的事情が考慮されていたわけではないこと、被告小城町教委は、区域外就学を承諾した児童の保護者から通学寄付金を徴収していたこと(通学寄附金の額は、昭和五四年度が一人年額二五〇〇円、同五五年度から同五八年度までが一人年額三五〇〇円であった。なお、この通学寄附金の徴収は、県教委の指導を受けて昭和五九年度から廃止された。)、以上の事実を認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

3  原告らは、被告小城町教委が区域外就学申請を承諾するか否かの裁量基準として、両地区の子供に関してはこれを承諾する旨の慣習法が成立している旨主張するが、慣習法が成立するためには、慣行の継続のみでは足りず、それが法的確信によって支えられることが必要であると解すべきところ、右認定の事実によれば、両地区の児童の桜岡小学校への区域外就学の承諾は、三日月町教委との協議を経て、その同意を得て行われてきたものであって、同教委の同意の有無にかかわらず、単に両地区の児童であることのみをもって被告小城町教委がその区域外就学を承諾するという慣行が成立しもこれが地域住民の法的確信によって支えられるに至ったとみることはできない。

4  前記認定の事実によれば、

(一)  【要旨二】両地区の児童の桜岡小学校への就学をめぐる一連の紛争の発端が、桜岡小学校の改築費用の負担問題にあったことは明らかであるところ、被告小城町が三日月町に対して右改築費の一部の負担を要求した行為は地方財政法上少なからず疑問が残るものではある(同法九条、二八条の二参照)けれども、当時、桜岡小学校において、両地区の児童が児童総数中約三五パーセントを占めるに至っており、その教育費用をめぐって小城町議会においても問題視されていたのであり、区域外就学を承諾するか否かの判断に際し、多数の区域外就学を承諾することにより生じる教育費用の負担を一つの要素として考慮すること(その結果、区域外就学は不承諾とし、教育事務委託契約の申込みがあれば同契約を締結して委託者に一定の教育費用の負担をしてもらうことが可能である。)は、学校教育法施行令九条の趣旨に反しないと解すべきである。

(二)  また、被告小城町教委による本件各不承諾処分の理由は、本件覚書そのものの遵守もさることながら、結局のところ、三日月町教委及び三日月町が、昭和五九年に今後両地区の子供は三日月小学校に入学させる旨の方針決定を行い、その後若干の推移はあるものの、右方針を基本的に変更することなく、両地区の子供の桜岡小学校への就学を認めようとせず、三日月町教委が両地区の児童の桜岡小学校への区域外就学を同意するような客観的状況になかったことにあったものと解される。

ここで本件覚書についてみると、原告らが、調印に関与した両地区住民代表者らに対して個別に代理権を授与していたといった事情があれば格別、そのような事情の存在を認めるに足る証拠もない本件において、本件覚書が原告らを法的に拘束し得るものでないことは、原告ら主張のとおりであるし、〔証拠略〕を総合すれば、本件覚書に両地区の協議人として署名・押印のある者のうち九名が調印に立ち会っておらず、右九名の署名は当時の本告区長・遠江が行い、うち五名の押印は遠江が同人らから預かってきた印鑑を使用して押捺し、残り四名の押印については、いずこから調達されてきた印鑑を使用して遠江において押捺したものであることが認められる(右認定を左右するに足りる証拠はない。)ところ、右事実によれば、本件覚書の調印手続きに瑕疵があることも、原告ら主張のとおりである。しかしながら、本件覚書がこのような問題点を含むものではあるにせよ、それは、両地区の児童の区域外就学問題に対する三日月町教委の姿勢を端的に表象するものであって、区域外就学申請を受けた被告小城町教委としては、仮にこれを承諾する場合には三日月町教委の同意が必要であることは前記のとおりであるから、承諾・不承諾の判断をするに当たって、本件覚書を考慮に入れることはむしろ当然と考えられるところである。(前記認定のとおり、両地区の児童の桜岡小学校への就学者数が増大していたのであるから、三日月町及び三日月町教委としては、両地区の児童に対する十分な教育的配慮の下に教育事務委託等の措置を検討すべきではなかったかということはできるけれども、三日月町教委が本件覚書に調印することによって、両地区の児童の区域外就学を認めない方針を固めていたのであるから、被告小城町教委が、三日月町教委の同意が得られないにもかかわらず、原告らの児童の各区域外就学を承諾すべきであったとすることは、学校教育法施行令九条二項の趣旨に反する。)

以上のとおりであるから、本件各不承諾処分が、原告ら主張のように、小城町教委が三日月町から桜岡小学校の改築費負担を拒絶されたことから、面子を保とうという不正な動機に基づくものであったとはいうことはできないし、本件各不承諾処分に当たって本件覚書を考慮すべきではなかったということもできない。

5  本件各不承諾処分によって招来される結果についてみるに、〔証拠略〕を総合すれば、原告らの子供が仮に桜岡小学校に就学できていたとすると、その通学距離は概ね一キロメートル以内であるが、三日月小学校への通学距離は概ね二ないし三キロメートルとなることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右事実によれば、桜岡小学校への通学距離よりも三日月小学校への通学距離が長くはなることが認められるけれども、桜岡小学校への一般的な通学経路に比べて、三日月小学校への一般的な通学経路の方が明らかに危険性が高いとか、歩行障害等の児童固有の身体的理由がある等の事情を認めるに足りる証拠はないから、両地区の児童が約一〇〇年に亘って桜岡小学校への就学を認められてきたという事情を考慮しても、本件各不承諾処分をもって社会通念上著しく妥当性を欠くとすることはできない。

6  以上によれば、被告小城町教委による本件各不承諾処分について、裁量権の踰越・濫用があったとする原告らの主張は採用することができないから、原告らの被告小城町教委に対する各請求は、いずれも理由がない。

五  以上の次第であるから、原告らの被告小城町及び被告小城町教委に対する各請求はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 生田瑞穂 裁判官 岸和田羊一 永渕健一)

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